1912年埼玉県秩父郡郡原谷村に生まれる 母と祖母の家庭で育ち、幼い頃 急な雨でも迎えに来てもらえず、学校の番傘を借りて帰るその番傘に、寄付者の名前が書いてあった。その名前を見て、「私も大人になったら何か人の為になる事がしたい」と誓い、それには勉強が必要だと東京に上京。結婚から離婚を経て一人の応援者も無ければ師匠もなく、世間に山とある参考書にも頼らず「法華三部経」という経典一冊だけを頼りに、誰はばかることなく、何年かかろうが釈尊の念願である「法華経」を広め、多くの人に仏性を目覚めてもらいたいと、成道会開教。ただ一筋で歩んできた。子供の頃の一念を忘れず、1976年公益に多額の寄付をし、貢献を認められ紺綬褒章を受章 1992年経済的理由によって修学困難な者を援助するため、 秩父市高山奨学基金を設置する。 現在も沢山の学生に役立てられている。 数々の功績を認められ同年2回目の紺綬褒章を受章 1998年永眠 |